石川果樹園 石川朗さん
Posted at 08/03/20 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»

石川果樹園 石川朗さん
●山道を進むとそこに
萩市阿武町を走る国道9号線をどんどこ走り、田万川で山手へ進み
江崎駅を通り越して、さらに山に向かってどんどんのぼっていくと、
パッと開けた場所に、石川朗さんの果樹園がありました。
●石川果樹園の歴史
きっかけは、山口県防府市にある農業大学校の研修でした。
九州のぶどう農園に研修行った当時18歳の石川さん。
当時ご実家の水揚げが100万円の時代に、大型バスが何台も乗り入れ、
年間1000万以上を売り上げる観光農園を目の当たりにしました。
当時、石川さんのご実家はお父さんが、柿と夏みかんを1.2haほど
されていました。
実家に帰り、九州で見てきたことをお父さんに話し、ぶどう園をやる
ことを提案し、お父さんの同意を取り付けると、早速準備を始めました。
そこには、昭和46年にグレープフルーツが自由化され、それまでのように
夏みかんが売れなくなってきていた背景もあります。
今では考えらない話ですが、自家用のぶどうの棚の溶接を学校のなかで
やっていたそうですから、石川さんのやる気がうかがい知れます。
卒業後は地元、田万川に戻り土地を造成し、ブドウを育て、着実に面積を
広げていきました。
観光農園を目指し、はじめた農業ですが、問題がありました。
それは、農園が山間部にありすぎたため、ちゃんとした道路が
農園まできておらず、道が細く、わかりにくかったそうです。
そこで、やりたかった果樹園はまだ始められず、作った果物は市場へ
出荷していました。
そんな時、また石川さんにとって転機が訪れました。
昭和56年、ぶどうが病気にかかり、この年はスーパーに
出荷できませんでした。
「このままでは生活が・・」
そう考えた石川さんはある決断をしました。
「広告をして、観光農園をしよう!」
そして新聞の折り込みチラシを1500部入れ、近辺に告知すると・・・
当時珍しかったのか、お客様がチラホラと来ていただき、
そのシーズンが終わった時は、通常市場に出荷していたときよりも
売り上げがよかったそうです。
その後、リピーターのお客様がいらしゃるだろうと思い、
また広告と観光農園の準備を し、シーズン前にはお客様に
案内状を送るようにし、固定の客様を獲得していきました。
その後、平成3年に宅急便での個人販売をスタートさせ、
主な販売先が市場から個人への直売へとかわり、
業績があがっていきました。
「では、今は順調ですね」と言うと、
「順調じゃあないねぇ」という返答。
でも言葉に余裕も感じられます。
天候に左右される農業。
過去に台風の影響と、「花振るい」という、ブドウの花が咲いた後に
落花してしまう生理障害が起こり、600万以上の損失が出たことも
あったそうです。
今まで、そんな困難を乗り越えてこられた石川さんだからこその
余裕だと感じました。
かっこいいです。
●お客様のために
現在はぶどうを1,8ha、柑橘類を1.2haを栽培され、基本は奥さんと
お父さんの3人で、 農繁期は更にパートさんが手伝いにきてくれる
そうです。
今、事業は順調ですが、課題もあります。
「今の若い人は何を食べてるんだろうなぁ」とつぶやく石川さん。
今は昔ほどみかんなど柑橘が売れなくなって来ているのです。
その対策として、栽培するブドウと柑橘類の種類を増やし、
どんな時代になっても、お客様により喜んでもらうように
工夫されています。
●経営に必要なもの
幾多の苦難を乗り越えて、今の果樹園をつくられた石川さんに
「経営に大切なものは?」という質問をしました。
1.気力
2.体力
3.時の運
そして経営の鉄則は、
「ウソは言わない」
「おいしいものを提供する」
ということでした。
それと取材中にずっとキビキビと働かれ、話すと笑顔が素敵で
元気な奥さんをもらわれたのも、成功の秘訣ではないかなぁと
私は密かに思っています。
ともかく今は、お客様にいい果物を食べてもらい、
「おいしいね」と言ってもらいたい一心で、果樹園を経営されています。
石川さんの農園では、作った果物は全部、規格外でも
規格外商品として販売してしまうそうです。
私もデコポンをいただきましたが、みずみずしくておいしかったです。
これなら売切れてしまう理由もわかります。

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