福光利一さん
Posted at 08/03/24 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»

米農家 福光利一さん
●冒頭
山口県山口市名田島。
ここでお米と野菜をつくっておらえる福光利一さんを訪ねました。
これぞ日本家屋と思われる大きな梁があるご自宅でお話を伺いました。
明るい笑顔のだんなさん、お茶を入れに来てくださった明るい
奥さんと一緒に、和やかな時間をすごさせていただきました。
●今年で82歳!
名田島で野菜と米を作っている福光さん。
規模は米が今年から1.2ha、麦1.4ha、たまねぎ、キャベツが
それぞれ1.5a、レタスが0.5aです。
それを奥さんと二人で、今年4月で82歳になりますが、
基本的に農作業は1人でされています。
まだまだお元気です!
●終戦と就農
ずっとこの地で農業をされてきた福光さんは戦後昭和20年に、
米とレンコン、麦で農業を始められました。
その前は戦中に中学卒業後、立川の陸軍の航空研究所に就き、
機関砲の研究の手伝いをしていました。
その後、20歳で特別幹部候補生として入隊、航空整備の任務につき、
山口に戻ってきたあとに終戦を迎えました。
●農業とは辛いもの
ずっと農業をされてきた福光さんに農業をしていて辛いことを
伺いました。
「農業は辛いもの」と福光さん。
戦時中は台風で名田島の堤防の決壊が切れ、水田が海水に沈んだことも、
大干ばつに見舞われたこともありました。
そういった実体験をされてきた福光さんだからこそ、言葉に重みがあります。
逆に楽しいことは・・・
売り上げという形で目の前に成果がでること。
ただし、最近米の値段が下がり20年以上は60kgが1万8千円
しましたが、今は1万2千円ぐらいにしかならないと、
嘆いておられました。
しかし、「人から指示されることなく、仕事ができることがいい。
休みたいときに休める」とも。
実際は休んだら次の作業に差し支えるため、休まないそうですが・・
今は厳しい農業ですが、今まで農業をやってきて悪いとは思わなかったと
福光さんは言います。
そのとき、お茶を入れにきてくださった奥さんにもお話を伺いました。
昔、農家の旦那さんは農作業で大変な思いをされましたが、
それを支える奥さんも大変でした。
今と違い手作業で田植え、稲刈りをしていた当時。
手伝い人を雇うと、その食事、風呂の世話は奥さんが全部していました。
朝早くAM2:00にはおきて朝食づくり、朝食がおわれば、
次は10:00に昼食を作って田んぼへ運び、そして夜になる前に
晩御飯つくりとお風呂の用意・・
それがしばらく続きます。
農家の奥さんは休む暇がありませんでした・・
「あの頃は本当に大変じゃった~」
と奥さんには当時を振り返っていただきました。
最近は微妙に変わってきた部分もありますが、
いつの世も働く男の影には奥さんの支えがあったんですね。
●好きなことをやれ!
若い人へのメッセージをいただきました。
「若い人はいい。今はやろうと思えば、なんでも農業できる。
今がチャンス!」
昔は土地が高く反頭60俵作らないと自分の田が変えない時代でしたが、
米の価格が下がり、今は土地が余っています。
機械や農業の技術の本や研修の機会も自らも求めれば、昔よりも
たくさんあります。
「好きなことをやれ」と福光さん
自分も好きなことをしてきたといいます。
自分の意思が一切無視される戦争。
死と隣りあわせで、いつでも命も落としかねない戦地
その現実を目の当たりにし、その環境で生き延びてこられた
福光さんの言葉には重みがあります。
先人が戦後、汗水流して必死で働いて、築いてくださったこの豊かな日本。
私たちは裕福な時代にいます。
その先人が残してくださったものに甘え、ぬるま湯につかるのではなく、
農業にしろ、他の産業にしろ、一生懸命働いて、次の世代に何かが
残せるようにしていかないといけないのではないか、と福光さんのお話を
伺っていて思いました。

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